千々石ミゲル
1569年頃〜1632年頃
肥前国領主千々石直員(ちぢわ のうかず)の子。有馬晴信の従兄弟で、
大村藩主、大村純忠の甥。1580年洗礼を受ける。
天正遣欧少年使節の大任を終えた後、天草のコレジオでイエズス会
に他の3人と入会するが1605年、名を千々石清左衛門(せいざえもん)
と改名し大村喜前に使える。その後キリスト教を棄教。
大村喜前にキリスト教は邪教だと進言。喜前はキリシタン禁制発布。
キリスト教徒から強い反発を受けて藩内が動揺、これを鎮める為に
千々石清左衛門一人が責任を負わされて藩政・キリシタン双方から
追われる身となり有馬氏に身を寄せるが追われて長崎へ。
使節4人の内で唯一結婚し子供を儲けるが、良き理解者であった
であろう妻が1632年?!亡くなると2日後に後を追うように帰らぬ
人となる。平成15年12月14日千々石ミゲルの墓石と思われる
墓石が発見される・・・奇しくも12月14日は千々石清左衛門の
無くなった日でもあった。 |