2009年

川棚町

特攻殉国の碑



川棚町新谷郷にある特攻殉国の碑です。



碑にはこう記されてありました。


昭和十九年、日々悪化する太平洋戦争の戦局を挽回する
ため日本海軍は臨時魚雷艇訓練所を横須賀からこの地長崎県
川棚町小串郷に移し魚雷艇隊の訓練を行った。

魚雷艇は魚雷攻撃を主とする高速艇で、ペリリユー島の
攻撃硫黄島最期の撤収作戦など太平洋印度洋において活躍
した。更にこの訓練所は急迫した戦局に処して全国から
自ら志願して集まった数万の若人を訓練して震洋特別攻撃隊
伏竜特別攻撃隊を編成し、また回天蛟竜などの特別攻撃隊の
練成を行った。震洋特別攻撃隊は爆薬を装着して敵艦に
体当たりする木造の小型高速艇で七千隻が西太平洋全域に
配置され比国コレヒドール島沖で米国艦船四隻を撃沈した
ほか沖縄でも最も困難な状況のもとに敵の厳重なる警戒を
突破して特攻攻撃を敢行した。

伏竜 特別攻撃隊は単身潜水し水中から攻撃する特攻隊で
この地で訓練に励んだ。

今日焼土から蘇生した日本の復興と平和の姿を見るとき、
これひとえに卿等殉国の英霊の加護によるものと我らは
景仰する。

ここに戦跡地コレヒドールと沖縄の石を併せて、ゆかりの
この地に特攻殉国の碑を建立し遠く南海の果てに若き生命
を惜しみなく捧げられた卿等の崇高なる偉業をとこしえに
顕彰する。


昭和四十三年五月二十七日

有志一同
元隊員一同
 






震洋一型艇の模型ですね。




旧魚雷艇訓練所の桟橋の用材が飾ってありました。



旧魚雷艇訓練所の桟橋はこの深浦にあったようです。



海にぽつんと残った基礎・・・何だろうと思っていましたが
震洋を釣り上げたであろうクレーンの台座だそうです。
(桟橋の礎石との情報もあります。)



米軍の航空写真に映ってる今はない桟橋のおそらくは
赤線で囲んだ当たりにあったものと推測しました。




惣津には基礎が残っています。
(地図見るとここだと思います)


碑文を読むと戦功を賛美してるかのようにも取れますが
私個人としては自分の大切な人達を守る一心で戦場に
赴いた10代の若者達の事を思うと胸が熱くなります。

10代で命の選択を当たり前に求められるそんな時代が怖い。
知覧などで残ってる特攻隊員の若い笑顔が切ないです。



争いは嫌いです、戦争はその最たるものです。
嫌おうなしに人間同士が殺し合う世界はまっぴらごめんです。
そんな当たり前の事を再び考えさせられる今回の川棚町の
散策でした。




近くに訓練所附属病院のレンガ壁が残っていましたので
写真を追加します。(2012年7月)



私ん記憶が正しいならば以前は門の両端に門と同じ高さまで
レンガを積んであったと思いますし建物もあったと思います。

特攻殉国の碑の横の建物を資料館にした・・・との情報があったので
行ってみましたが資料の整理中で2013年5月12日の慰霊祭まで
には開館できる予定だと書いてありました。



地図


川棚海軍工廠跡他

片島魚雷発射試験場跡

魚雷監視望楼

川南工業浦ノ崎造船所跡

 

2009年4月28日 up
2012年7月7日 更新
 

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