2009年 東彼杵町教育委員会
東彼杵町
キリシタン墓碑
キリシタン墓碑は東彼杵町の「庄屋公園」の一角に有りました。
元禄十丑年正月十二日家屋を新築、瀬戸郷馬場より
庄屋を移す。
明治五年から同三二年十一月まで千綿学校を併設。
明治五年から区役所、蔵所、戸長役所などおく。
明治二二年四月町村静施行千綿村役場をおく。
昭和二七年二月二五〇年経た建物を解き同年十月
新築完成。
昭和三四年五月東彼杵町千綿支所
昭和五二年六月支所移転閉鎖。
参考までに庄屋公園にある碑文を書き止めて置きます。
道から門柱を入ると右手の奥にキリシタン墓碑はありました。
県指定有形文化財の東彼杵町のキリシタン墓碑です。
(昭和37年11月8日指定)
上の3枚の写真は少しでも文字が見える様にコントラストを
上げる加工をしています。
ジ ュ アン
向って左側の石碑は、花十字と「元和七年卯月 一瀬志ゅ阿ん」
右側の石碑は、梵字と「寛永二十年」の銘が彫られている。
元和七年(一六二一)は三代藩主大村純信のときで、キリシタン
弾圧が激しくなろうとする時代であった。
キリシタン墓碑は徹底的に破壊されたため、旧大村藩内に現存
するこの手の墓碑は少ない。
この墓碑は、個人の屋敷内(瀬戸郷・一瀬修平宅)にあったもので、
平成一二年に所有者から町に墓碑が寄贈され、現在地に移設した。
県内に残る百余基の多くは無紋無名で、花十字・年号・氏名を
有する墓碑は少なく、キリシタン資料として重要な価値がある。
墓碑の横にある案内板にはこう記してありました。
長崎県東彼杵郡東彼杵町瀬戸郷1192付近、庄屋公園内
(川棚警察署 瀬戸警察官駐在所横、駐車スペースは奥に有ります)
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