2011年
西海市

西彼町キリシタン史跡巡り
小干浦の殉教碑
 

亀浦郷の恵美須鼻を目指して国道206号線をバイオパークに
向かう県道120号線に入ります。バイオパークを通り過ぎると



この三叉路を右に入ります。



左に案内がありますがそんな道ありませんから真っ直ぐ道なりに走って下さい。

右手に中山神社があります、その横に行き止まりの道がありますので無理に解釈すると左です・・・それでも右に
90度傾けないと違和感があります。立ち止まって考える事は間違いありませんね・・・無理やり十字路に拘ったせいかな?



峠を越えると恵美須鼻が目の前にみえます。
海岸まで降りると小干浦集会場前にでますので左折します。



左に登る小道がありますが、まずは防波堤沿いを奥に進んでみます。
・・・が、民家が立ち並び上に登る道も案内板もありませんので
戻って小道を上がります。どちらも車1台分の道路幅しかありません。



グーグルアースで確認した感じではこの畑の奥です。
兎に角歩いていってみました。

確かに整備された広場がありましたがもっと楽にこれられる
道があるはずと広場に下りてみると階段を発見。

下りてみると民家のお庭です・・・マズいかな・・・と思いつつも
立ち話してる女性にお尋ねすると「民家の庭ですが皆さん
ここを通って行かれますよ♪」「良いのですか?!」「どうぞ〜」



お話したのはこの門の右側のおウチの方でした。
左側には恵比寿様が祀られてます。

奥の階段を再び上ります。



最初の分かれ道の右をゆけば殉教碑に行けます。
私は下りてきた階段を上りました  orz



なにやら石碑が立ってます。
「西村清太郎之碑」と書いてあります。

世界の2大真珠王の一人、
御木本幸吉(もう一人の真珠王、高島末五郎の
レポは
コチラから)の御木本真珠に勤務して創成期の技術経営の改善に
務めたかたで、西村真珠有限会社を起こして2県8町村にわたり
大村湾真珠企業開発の先達となり大村湾真珠の名声を高めた・・・

大まかにはそういう事が書いてありました。

 

岬の方に向かうとすぐ近くに展望所がありました。



樹木が伸びてて手前は見辛いですね。



そして階段を降りた先に「小干浦の殉教碑」がありました。


 亀浦郷の小干の浦。西村真珠公園の岬の突端に十字架を付した碑が建てられている。
この碑のコンクリートの台の中には、この地に生まれた殉教者の四五郎左衛門とその子
与介の遺骨が収められている。遺骨箱に打ちつけられてあった銅版にはスペイン文字で
「この箱の中に至福なる殉教者、故四五郎衛門トマス72歳とその子与介ドミンコ37歳の
二人の死体がある。この方々は1624年7月17日、大村領の村、小干の浦で棄教する
のを拒んだので首を切られたのである。N・O・12、この箱は日本における聖ドミンコ会の
ものである。」と刻まれている。これが日本では唯一の殉教者の発見となる、
昭和40年の春のことであった。
銅版は現在長崎二十六聖人記念館に展示され、この地に殉教碑が建てられた。

この二人の殉教者について、当時日本にいた宣教師からイエズス会に報告されていた。
それによると、豊臣秀吉から始まるキリシタン禁令による弾圧はますます強くなり、
四五郎左衛門とその子与介も当時潜かに藩内で布教していた宣教師を泊まらせていた
として捕らえられ、棄教を強いられるが、これに拒み、遂にみせしめのため小干の浦にて
斬首されたと記されている。

                    西海市観光協会 「さいかいシティ.ねっと」より転載 


遺骨は発見できてもそれが誰だか特定出来なかったので
日本で唯一の殉教者になる訳ですね。



遺骨が納められてるのでお墓と同じですね。手を合わせてから
殉教碑の裏に回ってみました。



マリア像があり、碑の裏側にはこう掘られていました。 


 この碑は加藤十久雄氏とパチェコディエゴ 師の研究によって
史実として明らかにされたのを期会に西彼町と関係者の協力
によって昭和四十五年七月十七日建立された

                 西彼町教育委員会



近くの道路は車1台しか通れませんので地元の方に迷惑に
ならないように気を付けて下さい。車が交わせる場所に
置いてから歩くことをお勧めします。それ程歩かなくても
健常者なら大丈夫ですので・・・

地図 


続いては「平原郷の切支丹墓碑」へ向かいます。


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