2012年
大村市

峯阿乗之碑と大日堂



右が大日堂で僧侶「峯阿乗
(みねあじょう)」のお墓です。
左が峯阿乗之碑になります。

波佐見の神社仏閣もキリシタン信徒により焼き討ちにあったことは
調べてる内に分かったことですが「はさみ100選ガイドブック」に記載
されていた
教法寺 の説明で教法寺を開基した明信はキリスト教徒の
迫害を避けるために波佐見から出て真教を広めたとありました。

この時建物の被害だけではなくもしかすると虐殺された僧侶も
いるのではないかと検索していたら「
福重ホームページ」のコンテンツに
僧侶阿乗のキリシタンによる殺害のページをみつけました。
福重ホームページの関連ページ




大日堂(峯阿乗の墓)

1574年、迫害を逃れようと嬉野方面に逃げる途中でキリシタンに捕まり
この場所で殺害されその上遺体を便所に捨てられたそうです。(酷い話です)

正保4年
(1647)5月、三代藩主大村純信の時に大村彦右衛門純勝が
阿乗の遺体を埋めたこの場所に大日堂を建てたそうです。
(阿乗の霊魂が大村家を祟ったとの噂等が影響したと思います) 

明治に至るまでお盆には供養したそうです。



祠の中には大日如来の石仏が祭ってありました。




峯阿乗之碑 

後ろには大正七年四月吉日(1918年)とあります。
阿乗には3人の男子の子供がいたそうで3人とも大村藩に
仕えたかは分かりませんが内の2人が戦で戦死しています。

この時の仕えていたのが大村純忠だと時系列でわかります。
主君の命で父親を殺されたようなものです。
当然まわりも知っていることだと思いますので戦の先頭に立ったか
立たされたか・・・だと想像しますが。

しかしその血は残り峯家一族の手でこの碑が建てられました。

詳しくは福重ホームページをご覧下さい。
詳しく説明がなされています。


今回は場所が特定出来なかったのでキリシタン関係のページを増やしていた
時には取り上げることが出来ませんでしたが福重ホームページの管理人の
上野さんにメールで伺いご丁寧に地図の写真を添付して頂き今回
取材に行くことが出来ました。 この場を借りて厚く御礼申し上げます。



参考にしたHP
 
福重ホームページ


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