2013年
伊万里市

しろへびやま いわかげいせき
白蛇山岩陰遺跡 



明星桜の位置と駐車場の広さを確認しに行くと白蛇山岩陰遺跡の
看板が出ていたので700mくらいの距離だったらと向かってみました。
写真は明星桜から道なりの登っていった先に2台程の駐車スペースが
ある白蛇山岩陰遺跡への入口です。遺跡までは100mとありますので
行ってみました。(場所は
ココら辺です)



50m程あるくと左右の分かれ道に出ました。案内板はありません。
石仏が点々とあります。◯◯番阿弥陀入来とか書いてあるので
八十八箇所巡りのようです・・・・右に行くと更に分かれ道になって
いますので取り敢えず左に行ってみました。

更に100mは進んでも何もないのですが回った先に遺跡があるはずと
更に200m程進むと岩戸神社にでました・・・・・ 石仏も見えませんので
元きた道を引き返しました・・・・   orz



分かれ道まで戻ってもう一本の道に入って下に降りる階段を無視してそのまま
進んで岩陰を右に曲がるとそこに遺跡がありました。



五輪塔が祀ってありますね・・・・





左には宝篋印塔があります。



小さく区切られた穴にはそれぞれに石仏など祀られています。



こちらは彫ってあります。




県指定史跡
昭和59年(1984)3月21日指定
白蛇山岩陰遺跡
(しらへびやま いわかげいせき)

 国見山麓の標高約100mの場所にあります。中世には修験道の修行場だったので、
現在でも特異な景観をしています。
砂岩の岩壁に河川の侵食によってできた、南東方向に開口する2つの洞穴があり、
上洞は開口部約40m、奥行き約6m、下洞は開口部約8m、奥行き約7mです。
 昭和46年(1971)と昭和49年(1974)に佐賀県立博物館によって発掘調査が行われ、
旧石器時代末(約1万2千年前)から縄文時代晩期(約2千5百年前)に、
岩陰を利用して人びとが暮らしていた岩陰遺跡(いわかげいせき)であることがわかりました。
 岩陰の土の堆積は地表より約3.5mあり、13層に分けられます。第13層と第11層が
旧石器時代、第9層が縄文時代早期、第8層が早期〜前期、第7層が前期、第6層と
第4層が前期〜中期、第3層が中期〜晩期の地層でした。
 出土遺物は、旧石器時代の石器としては細石刃(さいせきじん)、細石核(さいせっかく)、
尖頭器(せんとうき)、削器(さっき)などが出土し、縄文時時代早期から晩期にかけての
石器としては石鏃(せきぞく)、石槍(せきそう)、石錐(いしきり)、削器・石核(せっかく)などが
出土し、また土器としては貝殻押圧文(かいがらおうあつもん)土器、押型文(おしがたもん)
土器、轟式(とどろきしき)系土器、曽畑式(そばたしき)系土器、阿高式(あたかしき)系土器、
磨消(すりけし)縄文土器、山ノ寺式(やまのてらしき)系土器が出土しました。
 石器や土器が、地層ごとに出土したので、それらがいつごろつくられ、形や文様が
どのように変っていったのかを研究する上で、きわめて重要な遺跡です。

−お問い合わせ−
教育委員会 生涯学習課
TEL 0955-23-3186
FAX 0955-23-2615
E-Mail shougaigakushuu@city.imari.lg.jp

伊万里市HPより転載 









現地の説明板


(画像をクリックすると動画が再生されます)



高いところにも四角い穴が掘ってあるのが確認できます。



ちなみに小川の方からも来られるようになっていました。


             白蛇山の伝説 

  黒髪山の天童岩に七巻半した大蛇が、口から火を吐き夕日に向かって
 咆哮していたこの大蛇は、時々、麓の村を襲い牛・馬・人間までも呑み込み
 、恐れられておりました。
  時は、仁平二年(一一五二年)京都を追われた鎮西八郎為朝が、肥前の
 国に来ていることを知った領主 有田栄は、大蛇退治を請願しました。
 村人達の苦しみを救うためにはと快諾して、十人力の重藤の弓を満月の
 ごとく引き絞り、「ひょう」と放てばキラリと夕日に輝きながら大鏑矢が、
 音をたてて飛んで行きました。見事大蛇の脳天を貫き天童岩から転げ
 落ちて、龍門の洞穴に逃げようとした時、待ち構えていた為朝に討たれた
 そうです。
  この山には、もう一匹大蛇が住んでおりました。それは輝くばかりに美しい
 、心のやさしい白蛇でした。これが実は 奥さんで、夫が討たれた後 自分  
 も捕らえられて殺されるのではないかと心配して、地中深く穴を掘り潜んで
 おりました。
  ほとぼりがさめた頃現れて、西の方角へと夜陰にまぎれて逃げて来て、
 浦川内の上の大きな洞穴を発見して ここに住み付き、一生をおわった
 そうであります。この白蛇は、夫の悪業を悔い自身も仏に許しを請い、
 一心に精進していたら、薬師如来が姿を顕し、「今日から人間に化身させて
 やるから、病に苦しむ人達を助けてやれよ。」と言うて消えたそうです。
 夢からさめると人間に化身していました。
  そして、仏に感謝して尼僧となって修行し、多くの人を助けたそうで
 あります。これを聞いた近郷近在の人達が続々と参拝する様になりました。
 そして、何年かする内にこの尼僧も年波には勝てず、自分の寿命を悟る
 時が来ました。
  ある日、村人達に 今夜は夫の命日であるから、自分一人でお祈りを
 したいと言って、早く村人達を帰しました。不思議に思った村人達が、よく
 朝早く行って見ると 尼僧の姿は忽然と消えて、後には白い大きな蛇の
 抜け殻があったそうです。これを見た村人達は、黒髪山の大蛇の奥方で
 あったのかと、皆びっくりしましたが、尼僧の徳を偲び薬師如来を建立して、
 無病息災の祈願所としたそうです。その如来様が今でも伝わり、八百年の 
 長きにわたり人々の信仰を集めております。
  心のなやみ、体に病のある人は、一度お参りして下さい。



  ※管理者注釈
 鏑矢は戦の合図などに使われる矢で音を立てて飛びます。
 獲物に向かって放つには不自然だと思いますが蟇目鏑(ひきめかぶら)だと
 すると蟇目は邪を払い場を清めるそうなので正確には蟇目鏑を放ったのかも
 しれませんね。

 明星桜の千手観音様を祀るお堂に置いてあったプリントの文をそのまま引用
 しています。句点、スペースなどそのまま書き写しています。
 後から調べて白蛇山岩陰遺跡にあるお堂に岩を彫って建立された薬師如来
 があるようです。白蛇山の伝説を知ったのが後でしたので気付きませんでした。
 ちなみにこの社の足元を昭和44年、徳永重利さんが掘った所先土器時代の
 遺物が発見され調査発掘がされたそうです。
 薬師如来様を、もう一度拝みに行くことにします。
 御開帳されることがあるならば是非とも拝観したいものです。





地図 


里小路の小笹生垣 

明星桜

青幡神社の大楠 

波佐見町に残る為朝の大蛇退治 

大聖寺 
(大蛇退治に使った明王剣と大蛇の歯が奉納されています)


2013年3月初旬 up
2013年3月下旬 更新

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