波佐見町

平野郷


川棚町の中山郷とかなり入り組んだ境界線を持つ
波佐見町の郷の中でも一番小さい地区です。

母の話では、その当時の波佐見町の中山郷が川棚町との合併を
求め波佐見役場で座り込みを断行したそうで、おそらく波佐見町に
残りたい家が有り複雑な境界線を持つ小さな部落になったようです。

昭和35年中山郷の一部が川棚町に編入される。
昭和37年中山郷平野地区の一部が川棚町に編入される。
川棚町役場ホームページより


                 貞兵衛さんの隠し墨

  この話は平野郷に昔から伝わるものです。

  昔、平野郷に貞べえという大変腕の利いた大工さんがいました。
  ある年のこと、江戸の将軍様から江戸城を改築するので各藩から
 腕の利いた大工を差し出すようにとのお達しがありました。
 そこで大村藩で一番の腕の持ち主であった貞べえを江戸へ行かす
 ことになりました。

  腕の利いた弟子二人を連れ、何日もかけて江戸へ着きました。
  いよいよ工事が始まりましたが、そこに大阪城の御用大工の秀と
 いう者から貞べえは田舎者だと、いつもいやみを言われていました。
  ある日のことです。大工の頭からお城の二の丸から三の丸に掛けて
 ある道木板をわたってみせてくれと言われます。

 秀は揺れるのを恐れながらも素早く渡りきりました。一方貞べえは
 もうちょっとの所で恐ろしさのあまり引き返してしまいました。
  そこで頭はしばらく考えた末、「秀は早く渡りきったが、早ければ
 いいものだと思って、自分の安全は考えていない。一方貞べえは
 ゆっくり慎重に渡り、その木の揺れ具合を頭に焼き付け、今度は
 走って戻って来た。「よいか。大工という者は大変危険な仕事だ。
 貞べえのように大工という者は自分を危険から守ることととっさの
 判断が大事だ。よって工事の監督は貞べえとする。」と告げられました。

 秀はこのことを恨み、貞べえをこらしめてやろうと、大名から贈られた
 銘木の床柱を二寸ほど切ってしまいます。

  いよいよ床の間の工事となりました。
  貞べえは弟子に自分が印を付けた所から切って柱にしたことを確認し、
 その床柱の長さを念のためもう一回計ってみると、なんと二寸足りません。
  そこで貞べえは困り果てて考えた末、何を思ったのか弟子たちに鋼2本
 と沸騰したお湯を持ってこらせ、柱の両端を鋼で結び、引っ張らせながら
 呪文を唱えながら柱の中央にお湯をかけました。そうしてもう一回
 長さを計ってみると、なんと4寸も延びているのです。陰から見ていた
 秀も不思議でなりません。
  貞べえは「こりゃ伸びすぎた。」と言って2寸ほど切って捨て、
 すんなり床の間に柱を立ててしまいました。 

  弟子たちからはこの魔法みたいな出来事が不思議でたまらず、貞べえに
 その謎を問いただしますと、「俺は田舎大工と言われ馬鹿にされていた、
 それでも頭から認められて監督になった。これだけたくさんの大工が
 いると誰かが俺に恨みを持つものがいる。俺をこらしめるため、大名から
 いただいた銘木を短く切ってしまえと考える。そこでだ。そんなことに
 なる前に本当の長さの10尺の所に隠し墨を付けておき、そこから4寸
 ほど長い所に印を付けていた。お前たちはその印から切った訳だ。
 その後誰かが柱を2寸ほど切った。そこでわざと長さが足りない。困った
 と騒動して、魔法を使ったように柱が伸びたように見せかけてやると
 きっと犯人たちも腕比べに負けて反省して謝ってくるだろうと思ってね。
 何事も先をいかに読むかが大事だ。みんな先を見越して安全に仕事を
 してくれ。」と説明しました。

  しばらくすると秀が貞べえのところに訪ねてきて、今回自分が監督に
 なれなかったのを恨み、柱を切ったことを打ち明け謝り、自分より貞べえ
 の方が腕が上で立派な大工だと認めました。

  その後貞べえと秀は仲直りをし、二人の力が合わさり立派なお城の
 改築工事が終わり、貞べえは無事に平野郷に帰ってきました。


                        はさみ100選ガイドブックより転載 

※ 数字の表記が漢字になったりしていますがガイドブックに記載されてるように書き写しています。
  また私の打ち間違いがありましたらメールにてお知らせ頂ければ即対応します。
    hasamiouendan@yahoo.co.jp



 
  平野郷は、波佐見町の最南端に位置し、町内最小地区で川棚町との町境が海の
 入江のように複雑な地形をしています。東に川棚川を挟んで岳辺田郷、北は志折川
 を両側に挟んで志折郷、南は川棚町中山郷と町境の郷です。

  基をたどれば、川棚町の中山郷は波佐見町の中山郷でした。昭和31年以前の
 中山郷は町内でも有数の大きい地区でしたが、昭和31年に波佐見町と川棚町に
 分裂分割し、波佐見町に残ったのが、わずか20数戸でした。 平野郷の原籍は
 波佐見町中山郷で、字名が平野の地名なので、波佐見町では平野郷とよぶように
 なりました。現在は39世帯3班と以前より増えています。

  平野郷の史跡を手操れば、旧石器時代の遺物で縄文時代よりも古く、1万4千〜
 5千年も昔に遡ります。これが栗林遺跡です。現在でも細石器が出土しています。

  また、大正年間以後は途絶えてしまったといわれる中山浮立もあります。その起源
 は定かではありませんが、波佐美神社の祭りを初め、祭り等に広く用いられていた
 そうです。正装して舞を奉納し、彼杵坂本浮立、川棚百津浮立とともに大船に分乗し
 大村藩の観覧に供していたと波佐見村中山郷浮立秘伝抜粋釈に記されています。

  自治活動については、年末に老人会と子どもたちで門松作り、元日には有志による
 餅つき会、4月は花見会、8月には夏越祭、9月は敬老会、11月は神待際、そのほ
 か、老人会では花いっぱい運動、PTAは子どもの通学路の草刈等を行っています。

 また、婦人部は駅伝の炊き出しを初め、炎まつりの青空農家レストランで自慢の料理
 を提供し、スポーツ会は、様々なスポーツ大会に出場するなど縁のしたの力持ちです
 このような小さな郷でも皆が協力い合い、全てに一生懸命頑張っています。また、
 全てにおいて団結力のある平野郷で〜す。
                                    自治会長 松尾訓司


 平成22年1月号 広報はさみ GO!GO!郷!!
 〜えんちの地区はどがんとこ?〜 より転載しました。




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