波佐見町井石郷

井石神社





当社流鏑大権現は昔し波佐見井石の領主土橋甲斐橘公房

建立なり、公房天文十四年貴明
(丹後守純前の妾服後藤伯耆守なり)

後藤純明の養子となり武雄へ赴く時陪従し多年彼の地に在り

貴明の子善次郎家信(実は竜造寺隆信の三男)事情ありて

後藤家を立退き波佐見邑井石に来たり居住す相伝へに曰く

公房武雄を立退き井石に落着し時、今流鏑大権現境内の古松に

夜々光物の有り土民不思議の思ひをなし之を見るに

矢の根壱本松の枝に有り(実は家祖の矢の根にして代々神と

崇め奉りし処武雄退去の時取り忘れたという)

且つ公房不思議な霊夢の告げ有るに依り此処に堂を造営し

此の矢の根を安置し御神躰となし奉る


御祭神

帯中津日子命(仲愛天皇)
息長帯比売命(神宮皇后)

    品陀和気命
  武内宿禰
 

 (武雄心命)公房公 

波佐見井石の領主土橋甲斐守橘公房創建後

連綿として安置し井石郷の鎮守氏神となり

明治三年十月廿五日正く井石神社と改め祭る

井石神社祭典日

         御正月祭           一月一日
            祈年祭              三月二十日
               夏祭                 七月二十三日
            願成就祭           九月二十日
               例大祭(宮日祭) 十月二十三日
                  年越祭              十二月三十一日
 



境内案内板より転記


井石神社の後ろには井石城があったそうです。

江戸時代までは流鏑大権現(やぶきだいごんげん)

称していたそうです。この案内板にある貴明とは

大村純前(すみあき)の子で後藤家に養子として入ったようです。

竜造寺隆信の三男家信が貴明の跡を継ぎ養子となり

天正13年(1585)井石に戻ったそうです。

「矢の根壱本松の枝に有り」というのは先祖代々伝わる

鏑矢(かぶらや)で公房が武雄から波佐見に帰る途中

落としたもので公房は神のお告げもあってここに社を

建て御神体の矢を祀ったのが起源だそうです。

(郷村記より)




明治になり仏像にかえ木鏡を神体とし

帯中津日子命(仲愛天皇)
息長帯比売命(神宮皇后)
品陀和気命
  武内宿禰
武雄心命

を祭りました。(「神社明細帳」より)


7月23日にお祭りがあります。


長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2060






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