「大村記」には、江戸初期、慶長10年(1605)の建立とあり、
「郷村記」では、寛永年中(1624〜1643)僧明了による
開基とあります。寺伝によれば、慶長年中に明了が安楽坊跡に
草庵を建てたのが安楽寺の始まり。
明了は、もと藤津郡松岡山真言宗の僧でしたが、金屋に住みつき、
還俗して又助となります。後に多久の顕正寺で修行し僧となって
明了と改め、浄土真宗に帰依しました。
明了に子はなく、教法寺開基明信の子を入れて2世とし、明元と
いいます。この代西本願寺から木仏、寺号を許されて、安楽寺と
称しました。3世教岸の代、寛文年中(1661〜1672)に
金屋の轟の池(現在の寺地)に寺を移し、「轟山安楽寺」と
いうようになりました。4世教随の代、元禄13年(1700)
東本願寺一如上人の御影をいただき、同派に属しました。
住職の姓は江戸時代三車の教えと轟の地名から三車姓でしたが、
明治になって開基明了にちなんで松岡姓となりました。
安楽寺に安置されてる5cm〜10cmほどの3体の観音像には
こんなお話があります。
この3体の観音像はもと金屋権現に祭られていたので、金屋権現
へお返しすると、不思議にもいつのまにか安楽寺へおもどりに
なってる。何度も同じなので今は安楽寺でお祭りしてると。
実は明治3年(1870)神仏分離令で金屋権現の仏像を安楽寺
に移したが、金屋神社の仏像だ、いや安楽寺へ安置すべきだと、
数回行き来したので、この話となったのでしょうとは住職の説。
はさみ100選ガイドブックより転載
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