波佐見町金屋郷

金屋神社





金屋神社御祭神

金山彦命(伊弉諾の御子)
金の神

伊弉諾神
伊邪那美神
 

(天照大神の御父母) 


八百万神を始め吾が国、土、山、川、草木を生成された神で
建国神、結婚出産家庭円満、夫婦和合その他諸々の守護神
(イザナミノカミの漢字は脾の字と違います。)

天忍穂耳命(天照大神の御子)
建国、政治の神、国土経営の神

副祭 橘諸兄公
本社創建の折の勅使、正一位左大臣


金屋神社の由緒

◎ 皇室との関係

一 創建

一皇第四十五代聖武天皇の天平四年(西暦七三二)
勅に依って大和国金峯山の神を此地に還して祀り
給う。橘諸兄勅使として下向す。(今より千二百六十年前)

二 御寄進
 
天平十四年社領五百三十石及び宝剣二振金子千両を寄進し給う。

三 寺坊附属

十二寺六坊を建立し神社の附属となす
当時日本四方固めの神社の一として紀州熊野山に比肩すという

◎ 豊臣秀吉との関係

一 戦勝祈願

文禄元年朝鮮出兵の軍を起こすや軍船渡海の立願あり、後
小西行長を使いとして願解の物品を寄進せり。

二 社木伐採

小西行長を使いとして社木六本を伐採せしめ軍船の帆柱となす。

◎ 佐賀県との関係

一 切支丹の焼討

寛永十四年(一説天平年中)切支丹教徒神社に乱入し焼討にす。
社人御神体を奉じて嬉野に逃れ、唐林寺に滞留す。

二 須古の金谷坊

須古の水堂安福寺を頼りて須古に移り金谷坊に神体を安置す。
これより文政十年まで約二百年間此地に在り。

三 神体還御

文政十年、時の神職中山加賀守公明に依って須古より本社に
迎えられもとの如く鎮座し給う。

◎ 大村藩との関係

一 本社の再興

切支丹乱後荒廃に帰したる旧社地に藩主の後援に
依り社殿を建立す此時英彦山の神を祀る。

二 神礼配布

旧神体が須古に在りし時、大村領内に神礼配布の
ことを許可される。
神体還御の後嘉永年間再び大村領内神札授与の件
許可を受く。

◎ 四ケ浦地方との関係

一 旧社領地推定

此地方一帯もとの社領地ならんと推定される。
神社に関係ある古蹟あるところも少なからず。

二 旧氏子地域推定

此地方はもと本社の氏子地域なりしとの社伝あり。

金屋神社宝物古文書

一 御紋章入御綸旨箱

二 錦の幕切

三 神社創建の勅書

四 社領寄進の勅書

五 太刀金子寄進状

六 豊臣秀吉感状

七 小西行長覚書

八 大村藩神札配布許可書

九 御神体譲渡證

十 松原村御初穂料納付書

(其の他)

平成四年四月吉日


年間祭典

一月一日 歳旦祭

二月二十四日 春祭(祈願祭)五穀豊穣・産業発展祈願

四月二十四日 例祭(大祭)

七月三十一日 夏越祭(献灯祭)大祓

九月彼岸中日の次の日 氏子願成就祭(おおごもり)

十一月二十三日 秋祭(新穀感謝祭)

十二月三十一日 除夜祭(大祓)


境内碑文より転載

 






手前にある新しい方の狛犬



拝殿に近い古い狛犬はかなり欠けたりしてます。



拝殿奥に本殿が見えます。

境内には立派な杉の木やいろはもみじの古木(樹齢700年)

があります。(それでも創建時より500年後ですね)





金屋神社奥御殿 



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