波佐見町永尾郷
智恵治窯跡
明治期に創業を開始、昭和10年(1935)には、小柳智恵治氏によって
大規模な改修を受け、昭和27年(1952)まで使用されていました。
本来は5室存在していましたが、2室は埋められ、現在は3室残されています。
なお、最上位室は素焼き窯となっています
。
この窯では、主に、日用食器・割烹食器・壺などが生産されていましたが、
昭和天皇への献上品、マッカーサー元帥への贈答品も焼かれました。
平成12年(2000)には発掘調査が実施され、埋められた2室の窯室と
物原(失敗品の捨て場所)が検出されています。また、全長は約22.1mであり
、数度にわたる改修を経ていたことなどが明らかにされています。
智恵治窯跡の残存窯室は天井部まで完全に残っており、江戸時代以来の
登り窯の構造を今に伝えます。こうのような良好な状態で残る登り窯は
肥前地方(現佐賀県・長崎県の一部)にはほとんどなく、非常に貴重な
窯跡であると言えます。
平成16年(2004年)8月27日には
長崎県史跡に指定されました。
(はさみ100選ガイドブックの記事をそのまま引用しました)
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