波佐見町

永尾郷




白山神社は江戸時代まで三股・永尾・小樽の鎮守だったそうです。
波佐見町の陶器の歴史にも深く関わっているようです。




永尾本登窯跡

寛文六年(1666年)に築かれ昭和25年(1950年)頃まで
使われていたそうです。この窯では江戸庶民の日用食器
「くらわんか碗」や海外輸出用の醤油や酒を入れる
「コンプラ瓶」などが大量生産されていたそうです。

古文書と発掘調査(平成4年)の結果、江戸時代末には全長155m、
29室の窯室を誇る巨大な窯であった事が判明してるそうです。

平成12年 9月6日 国史跡に指定





近くに山神社があります。
境内からの見晴らしも良いですねぇ。
狭い石段を登りましたが帰りの降りるのが結構怖い。

降りてからもう一度見上げると横に楽に登れるルートが
ありました (~_~)





智恵治窯跡

明治に創業し、昭和10年(1935)小柳智恵治氏により
大規模改修が行われて昭和27年(1952)まで使用
されていたそうです。(詳しくはこちら   )



智恵治窯跡の横には小川に降りられる
スペースがありました。夏は楽しそうです♪




皿山役所跡

見るとただの畑でしたので案内板の写真を撮りました。


皿山役所は、寛文六年(1666)に大村藩によって設置され、
以降、江戸時代を通じて波佐見窯業の管理・運営を行いました。
明治三年(1870)、廃藩置県に伴い閉鎖されています。
平成10年(1998)の発掘調査では、建物の柱の跡や井戸などが
発見されています。

現地案内板より

地図
 





波佐見町立東小学校永尾分校です。


 
 永尾郷は世帯数203戸、人口666名の周囲を山に囲まれた緑豊かな集落です。
年間行事は、桜吹雪の中で行う運動会(隔年)、夏まつり(隔年)、球技大会、ウォーク
ラリーや講演会を行っています。
 我が地域では、慶長の頃から陶器造りが始まり、大村藩主喜前をはじめ、歴代の
藩主は陶業の発展に力を尽くし、寛文6年(1666年)、三股皿山役所(現在永尾郷)
を設け、押役(のち皿山奉行)を置いて陶業の保護育成に努めたので、波佐見焼は
めざましい発展を遂げました。そのお陰で、郷内には歴史を刻む古窯跡があちら
こちらにあります。
 その中でも、全長155mの永尾本登窯は昭和25年まで焼かれ、登窯跡の段々や
レンガが一部残っています。また、智恵治窯は、昭和27年まで焼かれており、ここで
焼かれた壺はマッカーサー元帥に献上され、窯5基のうち3基は原基のまま保存され
ています。
 また、私達の心のふるさとである永尾分校は、地域住民の陳情によって、明治
35年4月に開校されました。住民たちは大変喜び、寄付金や材木を提供し、工事の
際は総出で奉仕したそうです。
 次に、永尾山の知られざる自然を紹介します。
 まず、獅子落とし山は海抜469まり、山頂付近は断崖が続く名前どおり険しい山
です。その山を700m降りると、幹周り3.6mの立派な欅があります。専門家の話
では、近県にはない銘木だとのことです。
 そこから東へ500m行くと、ビシャゴ岩と呼ばれる高さ40m位の一本岩があります
さらに200m行くと、昭和20年3月29日、住民が見てる中、日本軍に撃墜された
コルセア戦闘機
が墜落した山があります。地元の人達は、竹槍を持って駆けつけた
そうです。
 また、この周辺は光る石があるためか金山と呼ばれ、内海金山採掘の折に試掘も
された跡もあります。光る石は一見金のようですが、黄銅鉱とのことで残念です。秘
 町民の皆さん、永尾林道沿いの森林セラピー体験はどうですか。
                                  自治会長 楠本和義


平成21年10月号 広報はさみ GO!GO!郷!!
〜えんちの地区はどがんとこ?〜 より転載しました。



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