波佐見町皿山郷

大神宮




皿山大神宮です。

境内には皿山人形浄瑠璃会館があります。



拝殿です。



狛犬です。
塩田町の名工、筒井関平の作だとか。


拝殿の右側に道があります。



一番奥まったところに神殿があります。



柱の上に狛犬、扉には夫婦岩でしょうか?!


皿山大神宮は、室町中期の長享元年(1487)祠を建てて
五穀豊穣を祈ったのがはじまりである。

石造神殿は、明治初期、名工筒井関平によるもので、
その構造・彫刻ともに芸術性が高い。破損が進んでいたが、
平成3年(1991)に補修が行われ、当時の姿を今に伝えている。

波佐見町役場HPより転記 



ここで疑問に感じられる方もおいでと思います。

普通、拝殿の後ろに本殿(神殿)があるのですが
ここは横にあります。

実は昭和41年に県道の工事があり拝殿を移築された
ようです。神殿の前を見ると不自然なので気が付かれる
かと思います。




本来この角度で鳥居が立ち拝殿があったのでしょう。



隣には正一位稲荷大明神が祀られています。




これらも筒井関平の作だと言うことです。



天満宮、宮地嶽の祠だと思いますが正確には
分かりません。分かる方がいらしたらどうぞ御教授下さい。


拝殿の左側には記念碑がいくつかあります。



福田安兵衛之脾です。

碑にはこう記してあります。



 福田安兵衛は幕末のころ、高尾の辻で窯を焼き、また
 皿山庄屋をつとめていた。

 天保年間(1830〜1843)は四回も飢饉があり奥羽地方では
 数万の餓死者が出た。そのため百姓一揆や、江戸、大阪など
 では貧者の打ちこわしの大騒動が続いた。

 世の乱れで稗木場皿山も不景気続きで、事業中止も
 やむお得ない窮地におちいった。
 皿山庄屋の福田安兵衛は藩庁へ窮状を訴え窯元一同
 の上納銀の猶予を願った。

 事情を知る藩庁は飢えに苦しむ二十二軒を大野原に
 移し開墾に当たらせようとした。

 安兵衛は日夜心を痛め、このまま大野原に移ると祖先伝来の焼物
 づくりは消え、景気が戻っても窯焼きはできなくなる。

 彼は自分の身代を売って困窮者の家族へ食を与えて
 皿山を守ろうと決心した。

 安兵衛は三年間に身代の十中八九は売り払って、
 難渋者を救った。

 窯焼きも安兵衛一人となり、わずか一年に一度ぐらい
 火入れする形ばかりの状態であった。

 三年目に焼物の売れゆきが少しずつ進み、他の窯焼き
 に連れ焼きを勧め、こうして稗木場皿山は久しぶりに
 窯の煙が立ち昇るようになった。

 藩主は安兵衛多年の苦労を賞し、米二俵と差添え※1

 贈り、苗字帯刀を許した。

 以後、景気、不況の波はあっても、窯の火が消える
 ことは無かった。義人安兵衛の助けあってこそである。


平成十四年五月吉日

福田善明兄第一同建立

記奥川光義
 


碑文より転記

※1 差添えとは脇差の事


はさみ100撰ガイドブックにも記載があります。

私財を投げ打って皿山の住民を救う事を決心して相談に
行った皿山目付け馬場直右衛門は感激し役目上援助を
しようと申し上げたそうです。

碑には米二俵とありますがガイドブックには15表と
あるのが大きな相違点です。

大神宮では8月21日に祭りがあります。



長崎県東彼杵郡波佐見町皿山郷594 




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