高月 信吉
高月信吉は県立大村中学校に学んだ後教育の道に進みました。
その間下波佐見、日宇、川棚、波佐見の小学校長として実業
補習学校長を兼ね、また抜躍されて北高来郡視学にもなりま
した。勇退後も教育的情熱は燃え昭和2年(1927)に
上・下波佐見村組合立の波佐見高等家政女学校を創立し、
校長として堅実な農村婦人の教育に尽くしました。
さらに昭和16年(1941)には、上・下波佐見と川棚の
組合立川棚農学校を創立し、下波佐見村長のまま校長事務取扱
として基礎固めに苦心しました。
昭和4年(1927)衆望を担って下波佐見村長となり、
昭和22年(1947)までの18年間村政の重責を果たし
ました。村は昭和3年(1928)指導農村、昭和7年(1932)
経済更生村として県の指導を受けると、村民率いて産業の振興、
教育の改善、文化の向上に全力を傾け、理想農村建設に邁進し、
治績は大いに上がりました。
その功績を認められて勲六等瑞宝章を受章しました。
在任18年間は満州事変から日中戦争、さらに太平洋戦争へと
突入する国家非常時で、国民総動員、滅私奉公の先頭に
立つ村長の苦労は大変でした。
晩年になっても東彼杵郡畜産組合長、下波佐見農業会長、
長崎県茶業協会長を歴任し、地方産業の発展に大きく
寄与しました。
高月信吉は波佐見が生んだ教育家であり地方自治の
功労者でありました。
胸像は鴻ノ巣保育所(旧下波佐見役場跡)に建てられました。
はさみ100選ガイドブックより転載 |