波佐見町

鎮西八郎為朝の大蛇退治



800年ほど前、静かな八島に恐ろしい大蛇を見たとの
噂が広がり、村人たちは仕事も手につかず不安な毎日を
送ってました。このことが朝廷の耳に入り、八人力の弓の
名人、鎮西八郎為朝に大蛇退治を命ぜられました。

為朝は早速波佐見へくだり周囲3町(327m)ほどの池を
掘り,池の北2町余(217m)のところに東西6間(11m)
南北30間(54m)ぐらいの城を構えて、この池に大蛇が
来れば退治しようと何年も待ちましたが、大蛇は
現れません。

そこで為朝は大村湾のほとりから虚空蔵山の谷々を
探しました。大蛇の影すら見つけられませんでした。
気を落としながら夕方、川内郷の米の山にさしかかり、
道ばたの大石に腰をおろして、あたりをぼんやりと
眺めていると、大空高くそびえる黒髪山がふと目に
つきました。

この大石を「為朝の腰掛石」といって現在も県道端に
あります。翌日から大木に覆われた黒髪山を何日も探し、
山上に大蛇のうろこの形のついた大岩を見つけました。

その頃村木のまんじゅ姫は、大蛇の影におびえてご飯も
食べずに夜も眠れず衰え、いっそ大蛇に殺されて
しまおうと決心しました。そして黒髪山のふもとにある
白川の池のほとりに行きました。すると地鳴りがして
大蛇が現れました。物陰に隠れていた為朝はここぞと
ばかりに弓を引き絞り矢を放ちました。

不思議にも矢ははね返って一軒の家の戸に刺さりました。
その付近を戸矢といいます。

為朝は落ち着いて二の矢を放つとみごとに大蛇の首を
射抜きました。大蛇はものすごい地鳴りとともに池に落ち、
血で真っ赤になりました。それ以来八島の池は十年ごとに
血の色になるといわれています。

近所の人たちは大樽の酒を持ち寄って大蛇退治の
お祝いをしました。今、田ノ頭郷太郎丸にある聖観音は、
もと八島の城の尾にあり、鎮西八郎為朝が建てたと言い
伝えられたもので、江戸中期に太郎丸に再建したものです。

また、八天岳(岳ノ山)に琴平神社がありますが、
副神として為朝も祀られています。
 


波佐見町教育委員会刊行「はさみ100選ガイドブック」より




為朝の腰掛石

地図


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大聖寺 
(大蛇退治に使った明王剣と大蛇の歯が奉納されています)



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