波佐見町湯無田郷

照日観音




一、今より約四百年前尾州沼の内海を領有せし

  内海修理亮泰平は領地を椋取せられて逃れ

  波佐見村に来り其の際紀州熊野大権現の

  御札を持って関所を通る事得たり。


二、当村内海は昔より内海代々の領地なり。

  元祖内海修理亮泰平は、大村家より湯無田

  村、野々川村、境野村、折敷瀬村を賜り

  食禄とす。

  城は内海に構えて佐賀の敵を押ゆ。城は

  熊野大権現の社より庀の高地の嶺にあり

  城跡の麓に館屋敷と言う處あり是代々内海

  家安住の舘後なり。


三、元祖泰平より六代目山城政通の女に照日と

  言う姫あり。

  兄政廣と共に武雄の領主俊藤貴明を防ぎ戦功

  あり、照日の姫戦に望む毎に呪文を唱えて

  怪異を現す為に敵を負る事数回なり、後此

  照日の霊を観音に崇え照日の観音を號す

  又照日着せし處の腹巻あり子孫に伝う

  弾正少弼純保歎賞し寛廷四年其形を模造し

  製して俊世に伝えんは為に宮庫に納む。
  
  平成十二年三月記
 

社殿内の由来覚書より
(最初の部分の社殿・境内の長さなど省略)


社殿横にある内海城跡の案内板にはこう記してありまあす。


室町時代内海泰平が知多半島(愛知県)から

移り住み、ここに内海城(山上に山塞)を築いた。

地名館(たち)はその屋敷跡であろう。

紀伊熊野の分神を守護神として祭り、代々

尊崇じて今の熊野神社となる。内海政通は後藤貴明

(武雄城主)と茅知が原で戦って戦死、その娘照日

は呪術で戦功があったので照日観音として祭られた

なお観音堂横にある南無阿弥陀仏の拝石に刻まれた

永正十一年(西暦一五一四年)は波佐見に現存する

最も古い年号であろう。


昭和五六年三月 波佐見町教育委員会
 


湯無田郷の熊野神社

地図


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