鹿山神社



1の鳥居は波佐見郵便局と(株)浜陶との間にあります。


(画像をクリックすると桜が満開の時の動画が再生されます)

参道を進み階段を上がって行くと巨大な御神木があります。


子供の頃に見た物は大人になってから見ると小さく
見えるものですが今見ても大きいですねぇ。

子供の頃の記憶には猿の腰掛が付いていた
様な気がするのですが・・・。
 




幹周り6.3m樹齢900年と書いてあります。




階段の上から振り返ってみる・・・。



御神木と呼ぶに相応しい立派な大木です。



境内から社殿と左は社務所です。


 


治承年中(1177〜1180)、剣の御前
(平家の落人らし
い)
が社を奉ったのが始まりらしいです。

天正2年、大村藩主・大村純忠の命によりキリシタンに
焼き討ちにあった歴史があります。

寛永年中(1624〜1643)地元の豪族が再建して、
明治3年(1860)神仏分離の政令により御神体の仏像を
廃して本来の御祭神「健御雷男命(たけみかづちのおの
みこと)
」を奉るようになったそうです。

(看板に書いてあった由来を簡単に書きました)
 






この狛犬の右側にある横に張り出した桜の木に良く
登ったりセミ獲ったりしていました。懐かしい思い出。





向かって右隣には「正一位稲荷大明神」と「天満宮」が奉ってあります。



正一位稲荷大明神



扉が開かれた状態 




天満宮


天満神社由来記

 天満神社祭神由来、菅原道真公建物社、
一聞四方元禄五年壬申霜月吉日(一六九二)
寄進し奉る。
内海九郎太夫(内海修理亮橘泰平の子孫で
内海より分家して狩立に住し小左司を勤めた)
と田中長兵衛と森山清三郎(清参郎)と
池田庄左衛門の四名が深添(フケゾイ)の
天神川(今にも綺麗な水が湧き出ている)の
川端上に天満宮の祠が建っていたのを、此処
では粗末になるので鹿山神社に遷して祀る
ようにした。
(祠に彫りつけてある)と内海九郎兵衛の子孫
の徳松氏は語られた。 

内海徳松 田中孝之 森山恒則
 




祀られてる天満宮の祠



 


社務所の横には忠魂碑があります。
碑の隣には恐らく砲弾と思われるものがあります。


 

 
よくカブトムシやクワガタムシ・セミ等を追い掛けた
ものです。秋には椎の実を拾って炒って食べました。

今は木々が腐り枝が落ちてくる可能性があるので
林の中は立ち入り禁止です・・・。ちょっと寂しい。

2009年かなり伐採されて境内が明るくなりました。


 

 
子供達の遊ぶ声が聞かれなくなってきましたが、夏
になると今も尚セミ達の合唱が聞かれます・・・。
ああ・・夏と言えば7月15日の
鹿山夏越祭りです!
(千灯篭祭・・・略して「せんとろう」と言ってましたねぇ)
この日は神輿を担ぐ子供達の賑やかな声が
境内に響き渡ります。


 


毎年秋分の日には鹿山神社奉納相撲
執り行われます。この日も賑やかですねぇ。


 


役場を見下ろせる場所には、今里広記先生の胸像が
波佐見の町政を見守るように建っています。
 


2012年4月 更新
2013年3月 更新
 


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