鹿山神社
1の鳥居は波佐見郵便局と(株)浜陶との間にあります。
(画像をクリックすると桜が満開の時の動画が再生されます)
参道を進み階段を上がって行くと巨大な御神木があります。
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階段の上から振り返ってみる・・・。
御神木と呼ぶに相応しい立派な大木です。
境内から社殿と左は社務所です。
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い)が社を奉ったのが始まりらしいです。 天正2年、大村藩主・大村純忠の命によりキリシタンに 焼き討ちにあった歴史があります。 寛永年中(1624〜1643)地元の豪族が再建して、 明治3年(1860)神仏分離の政令により御神体の仏像を 廃して本来の御祭神「健御雷男命(たけみかづちのおの みこと)」を奉るようになったそうです。 (看板に書いてあった由来を簡単に書きました) |
内海徳松 田中孝之 森山恒則
この狛犬の右側にある横に張り出した桜の木に良く
登ったりセミ獲ったりしていました。懐かしい思い出。
向かって右隣には「正一位稲荷大明神」と「天満宮」が奉ってあります。
正一位稲荷大明神
扉が開かれた状態
天満宮
天満神社由来記
天満神社祭神由来、菅原道真公建物社、
一聞四方元禄五年壬申霜月吉日(一六九二)
寄進し奉る。
内海九郎太夫(内海修理亮橘泰平の子孫で
内海より分家して狩立に住し小左司を勤めた)
と田中長兵衛と森山清三郎(清参郎)と
池田庄左衛門の四名が深添(フケゾイ)の
天神川(今にも綺麗な水が湧き出ている)の
川端上に天満宮の祠が建っていたのを、此処
では粗末になるので鹿山神社に遷して祀る
ようにした。
(祠に彫りつけてある)と内海九郎兵衛の子孫
の徳松氏は語られた。
祀られてる天満宮の祠
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