2009年

武雄市

黒髪山周辺 秋の散策



紅葉シーズンには少し早いですが黒髪山周辺の神社や

景色の良い場所を散策してみましょう。



これは黒髪神社の一の鳥居です。

この前に駐車場がありますので、歩いて黒髪山の

天童岩まで行くと約1時間半かかるそうです。



一の鳥居を潜ってすぐのところが住吉城跡です。

武雄市史跡

住吉城跡

指定年月日 昭和五十三年三月九日

住吉城は、中世に武雄地方を支配した後藤氏の
居城である。築城年代は不明。戦国時代以降に
現在の規模・形態になったと推測される。
後藤氏は塚崎(武雄)城と住吉城の両方を拠点
としたが、二十代家信の代、天正十四年(一五
八六)にこの城を本拠地とした。慶長四年(一
五九九)に消失し、武雄城へ移転したことで
廃城となったとされる。
城の構造は、変形五角形の主郭を中心とした
単郭形式の「館城」で、南側に空堀を配置。
主郭の外周全体に大規模な空堀と二重土塁を
巡らせ、北側正面出入口と「枡形」様の総石垣
の特異な造作で、県下の城郭に他例をみない
ものである。
遺構の残存状態も総じて良好で、西九州に
おける戦国大名の居城の実態を知るうえでも
貴重であり、佐賀県を代表する中世城郭遺跡の
一つに数えられる。

※ 館城・・・通常は低平地に置かれる居城を、
      低山や丘上に構えた形態の城。

平成一八年二月九日 設置
武雄市教育委員会

案内板より
 


ざっと見ただの林なので、もっと詳しく下調べ

するなり誰かに案内して頂かないと理解出来なさそう(w

それよりもすぐ近くの石造閻魔王立像が見たいですねぇ〜




武雄市重要文化財

石造閻魔王立像

指定年月日 昭和五十六年三月三十日

一見して異邦の作を思わしめるこの
閻魔王像は、天正十年(一五八二)韓国
渡来の像で、運搬人二百人を要してたとの
銘が像背にある。
 全高一八五センチメートル、鎌倉期に
完熟したといわれるわが国における閻魔
王信仰の一端をうかがうことができる。
 閻魔王は、冥界にあって、亡者の罪業
を裁断するといわれる一三王のうちの中
心的存在であり、極楽往生の為に我が国
でが信仰されるようになった。
彫刻としては、いたって簡略であるが、
石造彫刻における半肉彫像に移る室町
末期の作として民俗文化財としても
重要である。

昭和五八年三月
武雄市教育委員会

案内板より
 




独特の造作ですね。

自由に見られて良かったです♪

さて、一気に山道を登って行きましょう!




カザハヤ峠展望所です。

この当たりはマップに載ってませんが(Web)一の鳥居

前、右側の道を道なりに登れば迷う事は無いと思います。



高いの苦手なのですがこの高さなら大丈夫♪

こんな角度で山内の町が見えます。

100mも進むと次に向う場所が見えます。



道の向こう側に赤い舞台の様な物が見えます。

太鼓岩の不動明王が微かに見えます。



登り口は、真言宗大覚寺派

黒髪山太鼓岩不動寺本堂横からです。

黒髪山太鼓岩不動寺の本尊は不動明王と

弘法大師です。



境内には不動明王の像や弘法大師の像など

沢山並んでいます。



本堂左側から遊歩道が続いています。

案内板では15分ほどの距離です。



四国八十八ヶ所のご本尊様の石仏が並んでいます。

元気に(不安ありますがw)坂道を登って行ける事に感謝

しながら足を踏みしめて登って行きます。



自然石を削って階段にした場所。

上に登るほど道は狭くなりますが人2人が離合するのに

問題無いです。



二丈八尺の不動明王の像が岩に刻まれています。
(黒髪山太鼓岩不動寺の薄れた案内板に二丈八尺と読めます)

二丈八尺と言うと二丈が約6.06m、八尺が約2.4mで

約8.5mかな?!ガイドブックやらは約7mと書いてあるから

不動尊単体の高さ書いてあるのかな?!

こんな高い所に・・・絶壁に・・・よくも刻んだものです(汗)

10m×5m位の足場作ってありますので普通の方は

良い眺めで手すりまで行くのでしょうが高い所苦手な

私は手すり1m以内に近づく事は不可能です(滝汗)



カザハヤ峠展望所より角度あるな・・・・

ダメだ・・・やはり近づけません・・・

早々退散です・・・

緊張して急坂上ったので足の筋肉が・・・

途中で攣りそうになりました  orz


普通の健康な方は良い汗をかいて、素晴らしい

風景と山伏が彫ったと言う不動尊が拝めると

思いますよ〜!!


黒髪山周辺秋の散策2へ続く


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