波佐見町

稗木場郷

県道1号線を中心に左右に見える山の稜線を
境に境界線を持つ地区ですが南側の境界は
鴻ノ巣山の北東4分の1を有します。




器楽館の道を挟んだ所に下稗観音堂があります。

ここに波佐見町教育委員会の立て看板があります。
「下稗木場窯跡」とありそこにはこう記してあります。

波佐見町内古窯跡

下稗木場窯跡

平成5年(1993)に発掘調査が行われ、窯本体
と物原が確認されている。出土した製品は全て陶器で
碗・皿・鉢・すり鉢・壺・甕などが見られる。
製品の様相から、安土・桃山時代の末から江戸時代
の初期に操業していた、町内でも最も古い窯である
可能性が高い。

波佐見町教育委員会
 



ここから南に方角の小高い山の上に長崎県窯業技術センター
があります。ここでは窯業の技術開発が行われています。
2007年長崎県窯業技術センター一般公開のレポート



下稗観音堂より皿山郷に向かって200mほどの所
治甫窯の横に富永治助父子の墓があります。



波佐見町指定文化財

富永治助父子の墓

波佐見焼創業の恩人。文禄・慶長の役に大村喜前公の
近習として16才で従軍した。帰国後、朝鮮人陶工の
監督世話を行い、村木に窯を築かせたという。
明暦2年(1656)、80才で永眠。法名 了茂。
子の五郎右衛門(左の墓)も元締役として波佐見
窯業の発展に尽くした。

昭和56年(1981)波佐見町文化財指定

波佐見町教育委員会
 


県道から入る狭い道の所の看板にこう記してありました。
写真には3つの墓が写ってますが一番手前左端が五郎右衛門
真ん中が治助の墓だそうです。


皿山器替まつりはここ稗木場郷の窯元や販売店も
参加しています。


 
 昔の川や田んぼの風景は変わったものの、のどかで、美しい豊かな自然に満ちた田園
風景と、先人の歴史を秘め、人情味あふれる稗木場地区。

 花見など、日本には「場所の旬」えお楽しむ文化があります。この地区にそれを探すと
すれば、何と言っても春に白い花が咲き誇る「梨園のある農村風景」でしょう。
 地区内を流れる二つの川。今や絶滅危惧種のメダカや、産卵に必要な二枚貝などの
減少で絶滅が危ぶまれている「ニガッショ」(アブラボテ)と、二枚貝の「百貫ゲー」(ドブ
ガイ)が生息する「昔ながらの豊かな川」であります。

 400年の歴史を誇る波佐見焼。初めて「火が入れられたのは、下稗観音堂地下に眠る
「下稗木場窯跡」でした。平成5年に発掘調査が行われ、出土したやきものは全て陶器で
皿、碗、船徳利などが発見されました。出土品の特徴から「町内最古の登り窯」である
ことが明らかになり、波佐見焼の歴史がここから始まりました。史跡は他にも「富永治助
父子の墓」があり、昭和56年に町文化財に指定されています。

 今年で8回目の「田んなか・どろどんぎょ祭り」。子どもたちを地域で育てようとの趣旨 で、壮年会が主催し、自治会とPTAが連携して行っています。

 無心で田んぼに飛び込んだり、ワニのように腹ばいで前進したりユニークな競技だけで
なく、田の神様の踊り」、「田んぼ版シンクロ」、南小学校伝統の「ソーラン節」で祭りは
大いに盛り上がります。

 圧巻は競技前に行う大人たちの模範演技。そのすごさには誰もが圧倒されます。さらに
手づくりの「ワラ縄で編んだバレーネット」や「芸術的なシャワー」、「子供たちを描いた大
きな看板」など。「地域の人材力」も光ります。

 これからも自然や歴史遺産、人材力など地区に「あるもの」を生かして「楽しいふるさと」
にしたいものです。


平成21年7月号 広報はさみ GO!GO!郷!!
〜えんちの地区はどがんとこ?〜 より転載しました。



稗木場出身の偉人 高島末五郎



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