大村市

第二十一海軍航空廠本部庁舎跡地及び防空壕


(Google Earthより) 挿入した文字に本部庁舎が抜けていました 
地図

去年「大村藩とキリシタンの史跡巡り」の下調べをしていた時に
ついでに戦争の史跡も訪ねてみようと場所を調べて地図にある
場所を探したのですが見つからずがっかりして帰ったのでした。
(現在、地図には正しい位置が記されています)

先日、運転免許の更新に長崎県運転免許試験場へ長崎空港通りから
大村郵便局のある交差点を試験場方面に曲がるとすぐに目の端に
変わった構築物を発見しました。免許更新の受付まで15分ほど
ありましたので急いで戻ってみました。



心の端に止めていれば気が付くものなのですね。



間違いなく探していた防空壕です。



南西側に入り口がありました。



あれ??!! っと思いましたが入り口をコンクリートで
塞いであります。



入り口の前には分厚いコンクリートの壁。
天井は更に厚いです。(当然ですが)



看板には危ないから登るなと書いてあります(残念)



北西側にも入り口がありました。
看板に無数の弾痕があるとありましたがこの壁かな?!




この鉄箱、何に使われてたのかな?!



きれいに入り口は塞がれています。



このコンクリートはなんだろ?!



なにかの基礎



ほとんど草に覆われていますが一部コンクリートが見えてます。
(上に見える突起物はなにだろう?!)



手抜きして看板の写真を載せて置きます。

第21海軍工廠では主に紫電改流星(流星改)、零式水上観測機の機体・発動機
(エンジン)の製造・修理を行っていたそうです。

大村大空襲では2時間にもわたるB29の爆撃を受けたそうです。
空襲は終戦まで数十回繰り返されたといいます。

今、気づきましたがこのレポートをアップすることになった今日が
大村大空襲のあった日でした。何かの縁が私を導いたのかもしれません。

今を生きる我々は戦争の悲惨さを後世に語り継ぎ、平和の尊さを
伝えていかなければいけないと思いを深めました。


防空壕のある場所の地図



第21海軍航空廠本部庁舎跡地は南側半分以上大村入国管理センター
と道を挟んで入管宿舎と官舎が建っています。北側は空き地です。


参考HP
 
長崎県HP
(社会福祉課→空襲による被害状況について)

大村観光ナビ
(大村の歴史→第21海軍工廠のあった街)


トラ・カフェ内関連レポート

下原口の掩体壕


2010年10月25日 up

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