2011年
武雄市

武雄市の古墳巡り 
玉島古墳  



佐賀県の史跡の指定を受けている玉島古墳です。
前回紹介したおつぼ山神籠石の近くにあります。 


  
玉島古墳は、橘町南楢崎区の西端で、嬉野市塩田町境にあたる県道
武雄・鹿島線の東側にあります。三方は水田に囲まれており、昭和45年の
発掘調査で南北の径48m、東西の径42m、高さ9mの規模で、県下でも
最大級の円墳であることが確認されました。
 墳丘は段築されたと考えられ、自然の小段丘を修飾加工し、墳頂から
2mが盛土とみられています。外観的には全体が見事な円錐形となっており、
埴輪も立てられていたようです。
 遺体を安置する石室は、竪穴系横口式石室とよばれ、竪穴式石室から
横穴式石室に移行する時代のもので、羨道部が未発達なところが特徴です。
石室は南西方向に開口するもので、両袖単室であり、玄室の平面形は奥が
やや広くなった羽子板形をしています。玄室は規模が、長さ3.25m、奥壁側の
幅2.1m、玄門側の幅1.43mで、側壁には大きな腰石の上に扁平な石を小口
積みしています。奥壁に平行して遺体を安置する屍床が設けられており、玄室へ通じる羨道は短く、長さ0.9mにすぎません。床面は玄室の方が羨道部より
0.53m低くなっています。
 遺物は、玄室から仿製変形文鏡・碧玉製管玉・ガラス製小玉・鉄刀・鉄鉾・
鉄鏃・鉄刀子・鉄・短甲などが副葬されており、墳丘からは埴輪片が出土して
います。これらの遺物や石室の特徴から、古墳の築造は5世紀末頃と考えられ、
杵島山周辺でも有力な首長の墓であったと考えられています。

佐賀県史跡・遺跡(古墳)指定 指定年月日 平成2年3月30日
所在地 橘町大字大日 

                           武雄市教育委員会WEBページより

 リンク先はWikipediaとコトバンクです。 
 
仿製変形文鏡とは中国の鏡を模倣して日本で造られた鏡のことです。 





壊れていますが階段があるので登ってみると玄室部分が見られます。
草が伸び始めていてちょっと見づらくなってます。

手前の白い2つの石が玄室入口部分でしょう。
手前が短い羨道部です。



玄室の入口を塞いでいた石かな??
蓋石の一部が割れた物か?



比較的小さい石を積んで壁を作ってあります。



手前に写ってるのは石室の天井部分になる蓋石だと思います。



玉島古墳公園となっていますが古墳と駐車場のみで公園です。
駐車場は10台ほどは止められます。



出土品に対して武雄市にメールで質問しましたが、丁寧な対応で

@遺物は武雄市図書館・歴史資料館にありますが、常設展示は行っておりません。
A遺物は学術資料として取り扱っておりますので、学術研究や調査等での目的の場合
のみ閲覧や撮影を許可しております。

また、インターネットでの掲載をお考えでしたら、大変申し訳ございませんがご遠慮願います。

との事でした。 誠に残念です。



地図 

多蛇古古墳へ続く 
 

 

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