キリシタン墓碑群
この墓碑は石工の手によらない粗雑な十文字を陰刻しただけの
自然石碑で台石もなく西に面して地面に立てられている。
この地方のキリシタンは大村藩のキリシタン弾圧により深く潜伏し
生存していたと思われるが明暦2年(1656年)の群(こおり)崩れ
(大村でキリシタン131名処刑された事件)
以後の弾圧強化で消滅したと思われるもので、現存する墓碑群は
明暦以前のものと推定してよい。その後厳重なキリシタン検索の中で
残り得たのは、伏碑と異なる自然石碑であったためだろう。
キリシタン墓碑はこの墓地一帯をはじめ、他にも数箇所現存している。
キリシタン分布の実証資料としても貴重なものであり、
大事に保存しなければならない。
昭和47年2月4日、長崎県文化財指定。
波佐見町教育委員会
(墓碑群の中にある説明文を転載)
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