波佐見町

長崎県文化財

キリシタン墓碑群





キリシタン墓碑群

この墓碑は石工の手によらない粗雑な十文字を陰刻しただけの
自然石碑で
台石もなく西に面して地面に立てられている。

この地方のキリシタンは大村藩のキリシタン弾圧により深く潜伏し
生存していたと思われるが
明暦2年(1656年)の群(こおり)崩れ
(大村でキリシタン131名処刑された事件)
以後の弾圧強化で消滅したと思われる
もので、現存する墓碑群は
明暦以前のものと推定してよい。その後
厳重なキリシタン検索の中で
残り得たのは、伏碑と異なる自然石碑であった
ためだろう。

キリシタン墓碑はこの墓地一帯をはじめ、他にも数箇所現存している。
キリシタン分布の実証資料としても貴重なものであり、
大事に保存しなければならない。

昭和47年2月4日、長崎県文化財指定。


波佐見町教育委員会

(墓碑群の中にある説明文を転載)
 







自然石の墓石に名前などの文字は見あたりませんが

確かに十文字が刻んである墓石を見つける事が出来ました。



原マルチノが生まれたのが永禄12年頃、1569年なので

同じ時代に生きた方のお墓かもしれませんね。



野々川郷字大石の本1406

地図

野々川郷に道なりに急坂を登ると標識が出ています。
キリシタン墓碑群まで200mと書いてありますが
分かれ道から正面に見える墓地の奥にあります。
(100mほどです)



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2009年11月 更新


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